田村隆二の記録

考えたことや思いついたことを気まぐれで書きます

『OZAKI30 尾崎豊展』に行ってきた

 

尾崎豊の没後30年目、

一つの区切りとし松屋銀座で開催された『OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展』に行ってきた

 

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東京をはじめ、普段滅多に都会という場所に出向かない僕ですが、このイベント開催を知った時は「行かねば」と、半ば使命感混じりの決意のようなものが生まれた。

 

 

 

尾崎豊に会いたい

会いに行かなければ

 

 

 

ちょうど横浜に行く予定があったので、タイミング良く銀座に立ち寄ることができた。

 

 

車で行くことにする。電車は苦手だ。

 

電車の中って、心は分厚い壁で阻まれている赤の他人同士なのに、物理的な距離だけは近い。それが、僕にはとても異様な空間に思える。

スクランブル交差点とかの人混みにも同じことが言えるが、電車がそれらと違うのは、拘束状態にあるということだ。 

どこにも逃げ場がない。壁に挟まれ、人に挟まれ

とても息が詰まる。

だから僕は電車が苦手だ。

 

ということで、車で行くことにする。🚗💨

driving!

 

 

 

首都高速中央環状線に入るあたりの傾斜を上ると、目の前に横たわる東京の街。

色んな形のビルがみんな同じような顔をしてじっとしている。でも内心どこか焦っているような。

こんな大きなものを、人間が作ったなんて、とても信じられない。それもこんなにたくさん。

この中に大勢の人がいて、その一人一人に人生がある。

すごいなぁ。とっても重そう。

 

でも、その重みを受けるには、この街は少し狭いのかも知れない。今に抱えきれなくなって、ボタボタとこぼれ落ちてきそうだ。

 

 

10代後半の頃は当時組んでたバンドのライブなんかでちょくちょく東京へは来ていたものだが、何だかとても遠い記憶のように感じる。

きっと、それが過去であるということを心がちゃんと受け入れきっている証拠なのだろうと思う。

それが「現実を生きる」ということかもしれない。

 

夢の中はとても魅力的だけど、現実がなければ夢はなし得ない。

 

月は、太陽がなければ輝かないんだ。

 

 

 

 

銀座に着いた。

子綺麗にしているし、お金もある。

でも、何だかどこか余裕がない。

そんな街だ。

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松屋銀座の8Fイベントスクエア

 

1,500円の当日券を券売機で買い、いざ中へ。

 

 

 

 

 

「I LOVE YOU」から始まり、時系列を追うように展示された遺作や遺品の数々。

 

 

 

尾崎豊がいる

 

確かにここにいるんだ

 

 

 

そう思った。

 

すると自然と涙が込み上げた。

ただ、まだ入ったばかりで観たいものがたくさん残っている。ここで目をやられるわけにはいかないので、少し許し、少し堪えた。

 

 

 

新宿ルイード

アトミック・カフェ

大阪球場

ニューヨーク、

逮捕、起訴、

結婚、出産、

BIRTH TOUR

代々木オリンピックプール…

 

 

 

 

 

尾崎豊という人間を、彼の生きた人生を、その時の流れを見ているような、

そんな体験だった。

 

彼の書いた生の文字や、使っていた机、ピアノや、着ていた衣装、

 

それらを実際に生で、それもあんなに近くで見ることができる日が来るなんて、それが嬉しくて、

一方で、「ああ、もう彼はいないんだな」と、

そういう実感が強くなって、

なんだか余計に遠く感じて、

それがとても切なくて、

 

やっぱり、何度か泣いた

 

 

 

 

 

 

僕が生まれた1999年には既に、彼はこの世にいなかった。

 

僕が14歳の頃、「15の夜」で初めて彼の音楽に触れた。

 

 

思春期の僕は、いつも何かに夢を見て、

それでいていつも悩んだり、イライラしていた。

 

 

 

どうして勉強をしなくちゃいけないの?

どうして学校に行かなきゃいけないの?

どうして大人達は僕達を縛り付けるの?

どうしてわかってくれないの?

どうして僕は生まれてきたの

どうして人は生きるの

 

 

 

どうして答えてくれないの

 

 

 

 

 

 

そんなことばかりを考えていた。

 

 

そんな僕の悩みや不安、迷い、怒りや苛立ち、悲しみや苦しみ、夢や希望、愛や憎しみ、自由、孤独、人生、

 

 

尾崎は、それらに対する答えではなく、

その答えは、求め、探し続けるものだと、

そして、その術を、

歌や、その生き様をもって教えてくれた。

 

 

 

若さは時に脆く、何もかも崩れそうな時がある。

そんな時に尾崎はいつも、道を示し、先導してくれた。

 

彼は、どんな困難も跳ね除ける強く逞しい男ではなかったと思う。

でも、彼自身、迷い、悩み苦しんでいたからこそ、心から信じることができた。

共に探し求めてくれている気がした。

 

 

 

 

 

高校生の頃の僕は馴れ合いを嫌い、確かな夢と、僅かな愛の力だけを信じていた。

だから、友達はあまりいなかった。

いつもピリピリとしていた。

何もかもうまくいかないような気がしていたんだ。

 

不安だった

そして、それを隠すために尖ってみせた

 

そのせいで、イライラしていた。

子供だったんだ。

 

 

だから、いつもイヤホンで耳を塞ぎ、尾崎豊ブルーハーツビートルズローリングストーンズなんかを聴いていたんだ。

 

そうしていないと、壊れてしまいそうだから。

 

 

 

 

そんなある日、クラスメイトにこんなことを言われたことがある。

「田村君は、どうしていつも怒っているの?」

それを言われた時は、

「ああ、そう見えているのか」

と、ほんの少しハッとしただけだった。

 

 

 

しかし後日、尾崎豊のライブ映像を見ていると、MCで彼は高校時代のエピソードを話していた。

 

 

「教室の席に座り、いつものようにWALKMAN浜田省吾とかを聴いていると、1人の少年が近づいてきて、こう言ったんだ

『ねぇねぇ尾崎君、何でそんなに怒ってるの?』

だから俺は言ってやったんだ

『これがrock 'n' rollだ!!!』」

 

 

鳥肌がたった

まるで自分の事のようだった

 

この頃から、尾崎豊に自分を重ねるようになっていった。

 

 

 

高校を2年で辞めた。

 

彼のように18歳でデビューするのが夢だった。

 

しかし、時間はあっという間に流れ、気がつけば19歳。

 

『10代』に対するこだわりがとても強くなっていた。

失うのが怖かった。大人になりたくなかった。

 

それでも時間は待ってはくれない。

 

 

 

現在22歳。

 

 

 

今では「大人になりたくない」と思わなくなった。

子供のままでは守れないものがあることを知ったからだ。

 

それに、真実から目を背けてはいけない。

そういうことを彼に教わった

 

 

 

14歳だったあの日から、22歳の今日まで、

尾崎豊は、僕の中でずっと輝き続けている。

 

漫画や映画等の作品、役者やミュージシャン等の著名人、

そういうものに対して、ここまで熱狂し、それが冷めずに続き、いわゆる"ファン"になったのは、

尾崎豊が初めてだ。

 

 

彼は最高のアーティストだ。

 

 

 

彼の死後に生まれた僕は、

彼のライブに行くことはできない。

生きた彼には会えない。

 

しかし、"生きていた彼を"見ることはできる。

尾崎豊はいたんだ。

そう感じることができる。

 

 

僕は今まで、やはり尾崎を教祖とし、信仰する信者の様なものだったかもしれない。

 

しかし、彼も普通の人間だ。

もちろん、音楽や詩に関して秀でた才能がある。そういう意味では特別だと思う。

 

しかし、彼も僕らと同じように、

この世に生まれ、ご飯を食べて、眠り、成長し、愛し愛され、笑ったり、悩んだり、喜んだり、悲しんだりする、

何ら変わらない普通の人間だ。

 

今回の展示を見て、少しそう思った。

 

 

 

2年前の『尾崎豊を探して』も然り、

今回の『OZAKI30』にしても、

今一度、"尾崎豊"と改めて向き合う。

そのためのきっかけになるし、

 

僕のように

尾崎豊を知らない世代のクラクション」

にとって、こういった尾崎豊に関するイベントは、大々的に彼に触れられる数少ない機会で、とても貴重だ。

 

もちろん、生きている彼のライブに行けるのなら

どんなに素敵だろうか。

 

それでも僕は、

ないものをねだるより、あるものに感謝したい。

 

 

今回、『OZAKI30』を開催してくださった関係者の方々には本当に感謝しています。

ありがとうございます。

 

 

そして何より、

尾崎豊に、

心から感謝しています。

本当にありがとう。

 

 

 

彼は僕の憧れだ

しかし、僕は尾崎豊にはなれない

 

ならなくていいんだ

 

僕は僕だ

 

そのためには、勝ち続けなきゃならない。

正しいものは何なのか

それがこの胸に分かるまで

 

僕が僕であるために

 

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P.S

横浜での仕事を済ませた後、近くにあったバーガーショップに駆け込んでポテトをコーラで流し込んだ

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