田村隆二の記録

考えたことや思いついたことを気まぐれで書きます

家族とは

 

 

 

うちの元父親は稼いだ金を全て自分の娯楽に使い、育児及び家庭を放棄、いわゆる経済的DVをしていた。


小さい頃から家では両親の怒鳴り合う声を聞き、僕にとって"家庭"は心休まる場所どころか、窮屈で居心地の悪い、嫌悪と憎しみにまみれた空間だった。

 

 

当時の僕はとにかくこの家から、両親から、逃げ出したかった。


でも力のない子供にはただその状況を、口をつぐんで我慢する他ない。

 

 

 

僕が小学校高学年になる頃には父親とは事実上の別居状態になり、それでも母は世間体を気にして子が成人するまで籍は残すとしたが、その後も色々あり見兼ねた当時中学生の僕が、母に「もう離婚しなよ」と言い、

結果離婚することに。

 

 

 

 

 

 

今、離婚後の共同親権を導入する民法改正がされそうになっています。

これは実質的な離婚禁止であり、DVやモラハラなどの加害により離婚し別居した場合でも、別居親の許可がなければ子供の進学や引っ越しも出来なくなる上に、DVモラハラ加害者に住所を知られてしまう等、様々な危険性を孕んでいます。

可決されれば今後、確実に死人が出ます。

その他、毒親や宗教二世など、親に苦しむ子供が数多く存在する中、そう言った問題に対する明確な対策もないままに異例の速さで法案が成立しようとしている。

審議が長引けば、国民に広く周知され、その結果炎上することは明白だからだ。

これを阻止しなければ。

 

 

 

 

共同親権推進派からは、

「離婚後も父母が子との関わりを継続することが子の健全な生育につながる」て意見があるようだが、離婚後も父母の関係が良好な場合ならともかく、DVやモラハラといった問題を起こすような人間との関わりは子の健全な生育に多大なる悪影響を及ぼすに決まってるんですよ

 

それでなくても両親の不和が子供にどれだけのストレスを与えるか。

自分が満足・納得できれば良い、子供は自分の所有物、みたいに考えていて、子供の声なんて聞いちゃいないんだ。

 

 

 

離婚後共同親権が導入されて喜ぶのは面会交流を禁止され、子から引き離されたDV等の加害者だけだ。
子が離婚後別居した父母との面会を求めるケースもあるだろうが、それと共同親権とは関係が無く、共同親権はあくまで父母の平等化ってだけで、そこに子の意思は不在なんだよね。

 

この場合の平等なんてのも名ばかりのものだし。

 

 

 

DVをするような人は大声で怒鳴って相手を従わせようとする。
恐怖でNOと言えない被害者がいるからこそ、それに代わって国がしっかりNOを突きつけるべきであって、被害者を守るべきはずの国が、声がでかい加害者側の言いなりになって結果被害者が苦しむ羽目になるなんてことはあってはならない。

 

 

 

 

 

僕は結婚や育児によって生じた不幸を間近で見続けてきたので、個人的に結婚や子作りには希望が持てず、しないつもりでいるんですよね。


一概には言えないけど、僕みたいなのが増えれば少子化はさらに加速するんじゃないかな。


現に反出生主義なんてよく聞くし、僕もそれを主張はしないが共感はするし。

 

 

 

あとは、

結婚せず子を産まずに日本で生きるか、
海外へ出て家庭を築くか、

みたいな極端な話になりかねないと思うな。

どのみち今のままでは日本に未来は無い。

 

 

 

今まさに少子化対策をするべきだという時に、全く逆効果な法改正をしようとしている。

なぜだ。

 

 

 

国は長期的な日本人滅亡計画でも進めてんのか?それならそうと言ってくれれば。


でも、違うな。都度目先の利益や誤魔化し、身勝手な暴論のためにしたことの結果、破滅するだけだ。

 


いや、自滅か

 

 

 

 

 

 

これはまた別だけど、


たまに「兄弟はいる?」って聞かれるけど、
いないです。


ただ戸籍上はいます。
が、およそ10年前に絶縁したので実質いないようなものです。


なので、「いない」と答えてます。

 

 

 

 

 

家族の定義を測ることは難しいですが、少なくとも血縁や書類上で決定するものでは無いと考えてます。


親子にしろ兄弟にしろ、他人です。(そもそも夫婦には血の繋がりは無いし)


冷たく聞こえるかもしれませんが、
それが大前提で、
その上での人間関係です。

 

友人や恋人関係とそう変わりはありません。

もちろん、家族という肩書きを大切に思うことは大変結構です。

しかし、囚われる必要はありません。

執着する必要も無い。

 

人は皆孤独であり、まずはそれを受け入れることです。

 

なんにせよ、

肩書きがどうあれ、
尊重し合い、侵害しないことが大切です。

 

 

 

 

上記でいう"家族"は、法律上での家族の定義は除外しています。

そうではなく、精神的、哲学的な、個人の認識するところにおいての"家族"を指してます。

そこにはある一定の信頼と、尊敬があるはずです。

 

 

 

少なくとも、
"家族"というのはプライバシーを侵害してもいいという免罪符ではありません。

 

 

 

 

先にも述べた通り、家族であろうと他人です。

 


そして、他人と真に理解し合うことはほぼ不可能に近いです。
人の心の中までは見えないので。

 


だからこそ、なるべく理解し合えるように歩み寄ること、その姿勢が大事なんじゃないかな。


だからこそ、そういう姿勢のない者とは距離を取る必要があります。

 


それがたとえ、家族であろうとも。

 

 

 

 

 

あとは、各家庭ごとに様々な事情があるので、世間一般の家庭像や家族の絆的な綺麗事を人に押し付けてはいけないね。

(そういう理想に憧れたこともありますが)

 

それが人を傷つけることもあるということは知っておいた方がいいね。

 


とにかく、他人なので、干渉しすぎるべきではないですね。

 

 

 

と個人的には考えます。

 

 

 

「私はそう思わないよ」て言う人がいてもそれは当然のことです。

人間の考えは人それぞれです。

合う合わないはあります。

 

自分と異なる考えを知ることも大切です。

そういう方達と対話をすることで互いに考えを深め合うこともまた必要だと思います。

 

しかし、対話の望めない相手というのは少なからず存在するわけで、

 

そういった、マジで合わない人とは適切に距離を取ればいいのです。

 

しかし法によって距離を取ることも難しくなってしまうというのでは、もはや人権の侵害となんら変わりません。

 


それは、決してあってはならないことです。

 

 

 

共同親権衆議院で可決されましたが、まだ参議院があります。
インボイスの署名無視という前例がある以上、日本の国民不在の政治体制に絶望を感じずにはいられませんが、とはいえやれることはやりたい。それに、過去に署名で変わったことも中にはあります。なので、せめて署名だけでも。

 

 

 

 

ここまで書いていて思うのは、自分はどこか心が死んでるんじゃないか、と。


愛なのか、情なのか、倫理か、はたまた、


何か人として大事な部分が欠けているような、そんな気がする。


完璧な人間はいないという前提を踏まえれば、それも杞憂かな、

 

はたして、

 

 

 

 

とにかく、より良い社会にしていきたい。

 

当然、戦争なんて絶対に許さない。

是が非でも抵抗してやる。

 

何のための歴史だ。

太平洋戦争から一体何を学んだんだ。

 

 

もちろん、外交は大切だが、従属国になってはいけない。

敗戦国ではあるが、一国家として対等な立場を築いてゆかなければ。

その為に我々ができることの一つに選挙がある。

 

 

政治についてよく学び、

様々な問題に目を向け、

自分なりに考え、その上で意見を持ち、

そして、行動しなくては。

 

 

僕もまだまだ勉強不足ですので、是非みなさん共に学び高めあいましょう。

 

 

 

 

僕は、無知な奴隷ではいたくない。


当事者であることを忘れるなかれ。

 

 

 

怒れ国民よ

 

 

 

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