フィルムを現像してきたんだ。
去年一眼で撮ったやつと、あと、今年撮った写るんです。
写真を撮るような時ってのは大体楽しい時とか、綺麗だなんだとか思ったりした時だろう。
だけど現像してさ、忘れた頃に見返すと、全部が全部いい想い出とも限らないんだな、これが。
僕はいつも1人でいるからさ、写真といっても大抵は風景とか建物とか、そういうのばかりなんだ。
でも時々誰かと一緒になったりなんかすると、撮ったり撮られたり、一緒に映ったりもするんだ。
ほんとだぜ。
でもその写真が現像される頃にはもう、その人はいないんだ。
いつもそうなんだ。
誰かと一緒に写真を撮っても、その写真をその人と一緒に見た試しがないね。
その時にはもういないんだから。
写真屋から帰ってさ、現像した写真を1人で見るたんびに気が滅入っちゃうんだ。
「ああ、またか。」ってね。
実際、人と写真を撮るときなんかには頭をよぎるんだぜ、「このフィルムがいっぱいになる頃にはこの人、いないんじゃないか。」ってさ。
でもそんな時は決まって何かに酔っちまってんだな。
「そんなことはない。今度こそ、きっと。」
そんなふうに考えちゃうんだ。
笑っちゃうだろ。
学ばないんだよ、こいつ。
自分に学がないのは承知してるけど、それでもやっぱり参っちゃうな。
これは持論なんだけど、
「ロマンチストは愛されない」
と、こう思うんだ、僕は。
でも、本当だと思うぜ。
実際、人に愛されるってのはすごく難しいことなんだよ。
いや、もっと言うと、愛され続けることが、かな。
そういうのって、とても高等な世界だと思うな。
特にロマンチストなんかには到底及ばないところにあるね。
現実主義者でなけりゃいけないよ。
ここでいう現実主義ってのはなにも、収入がいくらか、とか、学歴はどの程度か、とか、そんなくだんない話のことじゃないんだぜ。
まぁ、そういう藁を握りしめていい気になってるかあいそうな連中も少なくないんだろうけどさ。
でも僕が言いたいのは、人とのコミュニケーションがどれだけ上手にできるかってことなんだ。
相手がこういう時にはこういう接し方で、こういうことを言う。または言わない。とか、正義を殺したり、悪を許したり、
知識と経験が必要なんだ。
そういう意味ではやっぱり、学は必要だと思うな。学歴なんてどうでもいいけどさ。
…正義と悪のくだりは無かったことにするよ。
そういうところがロマンチストだっていうんだな。もちろん、悪い意味でね。
なにより人との関わり合いだよ。
現実的な人間関係の中でこそ培われる"能力"なんだな。"技術"といった方がいい。
実践の中で会得していくものなんだ。
僕には、ないんだけどさ。
逃げてきたからね、
人との関わり合いから。
現実主義者は冷静に人間関係ってものを捉えて、知識と技術で攻略していくのに対して、
ロマンチストは、愛とか、そういうものにひれ伏してる所があるんだな。
崇拝しちまってるんだよ。
何か、絶対的な何かだと思い込んで仕方がないんだ。
愛は普遍だ。絶対だ。とか言ってね。
だから、緻密な人間関係のプロセスなんかをすっ飛ばして、"愛"ってやつを掲げて突っ走るんだけど、もちろんちゃんとした場所になんて辿り着けないんだな。
蜃気楼に惑わされる砂漠の旅人とか、風車に向かうドン・キホーテみたいなものだよ。
彼らも時々冷静になるんだけど、そん時にはもう手遅れ。気付いた時には知らない場所でひとりぼっちさ。
傷だらけで泣いてんだぜ。自業自得のくせしてさ。
哀れなものだよ、まったく。
本当にかあいそうなのはどっちだ、って話さ。
それでもまだ"愛"を信じて疑わないんだから驚きだよ。
今度こそは、本当の愛を。なんて言って探し彷徨うんだ。
ゾンビさながらだよ。恐ろしいね。
…
なんだか話がだいぶ逸れたみたいだ。
結論とか、そんなのはないんだけどさ、別に。
ただやっぱり、人間関係は大事だと思うな。
"人と関わる" ってことがね。
それを分かっていながら、孤独を愛しちゃってるんだな、こいつ。
孤独は僕を裏切らないからね。
どうやら、傷つくことが怖いらしい。
情けない奴。
はて、さて、こんなことで、どう生きていくんだろうな、こいつは。
先のことは分からないけどね。
でも一つ、分かることがあるんだ。
それは、
こいつはきっとまた、誰かと一緒に写真を撮る。
ってこと。
カメラを向けられてもピースしかレパートリーがない男の独り言
2023.8.29
田村隆二